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じいちゃんの青春時代

現在ばあちゃんが必死になって取り組んでいることがある。
それは戦後60年を期に戦争体験集を作る事。
ばあちゃんの周りの人に戦争体験を綴ってもらい、
それを校正し、本にするのである。

ショウを迎えに行ったとき、
「じいちゃんの体験をまとめたんやけど、
誤字脱字とか意味がわからんところがないか見てくれんやろうか」
じいちゃんの?
これまでばあちゃんの体験は聞いたことがあるけど、
そういえばじいちゃんの体験は殆ど聞いたことがない。
私が知ってるのは戦時中じいちゃんは満州にいたこと、
終戦して引き上げるとき、友人に赤ちゃんが生まれたが
母子ともに亡くなってしまったこと。
友人の話は私が大学時代、じいちゃんの家に通ってた
中学生たちに話してるのを聞いたのを覚えてる。
あの時最初で最後のじいちゃんの涙を見た。

家に帰り、渡された原稿用紙に目を通す。
さすが現役で書道を習っているだけあり、
字が綺麗で読みやすい。
じいちゃんが1度目の入院から退院して(2度入院した)
ばあちゃんにじいちゃんが話してくれた
記憶を辿って書いたものだった。

じいちゃんの体験は私の想像をはるかに超えるものだった。

じいちゃんは当時の西南中学卒業後、
一番上の兄さん夫婦を頼りに満州に渡り、
満州鉄道の職員になる。
1年後太平洋戦争勃発。
満州に2度大きな空襲に遭う。
じいちゃんは駅で数多くの死骸の処理に携わった。
作業中はもう可哀想とか気持ち悪いとか怖いとかいう感情が
全く湧いてこなかったらしい。
全然何も感じない。自分でも何も思わないことを後に不思議に思ったそうだ。
2度目の空襲の時、同僚の女性が防空壕に逃げ
じいちゃんが探しに行ったときには既に防空壕は爆撃に遭い、
女性の腕しかなかったこと。
2個上のがたいのいい先輩がロシアの女性将校に連れて行かれ、
二度と帰ってこなかったこと。
本の虫だったじいちゃんが大事にしていた蔵書を
日本に帰るため、生きるために売ったこと。
医療船に乗って引き揚げ。
重病人のみハンモック、他の大勢の人は座るのもやっとの船内で
寝ていた。
船上で友人に赤ちゃんが生まれるも、手の施しようもなく
産後の肥立ちが悪かった奥さんが先に亡くなり、
後を追うように赤ちゃんも栄養失調で他界。
奥さんの亡骸は水葬したが、赤ちゃんはどうしても手放すことができず、
佐世保に寄航後じいちゃんが木材や布切れを集め、
2人で赤ちゃんを火葬した。
当時は涙も流れなかったらしいが、中学生に話しているとき、
「こんなことが起きていいものか」と
思い出し戦争に対する怒りからか、声が上ずり
後の言葉を発しようとしたが声を詰まらせていた。

戦争は過去のこと、ではない。
今でもイラクやイスラエルではテロが絶えない。
日本でも戦争が起きたということが忘れられつつある世の中。
じいちゃんの青春時代を垣間見言葉を失う。
しばらくの方針の後、文章のおかしいところを訂正し、
是非これはおとんにも読んでもらいたいと思い、
おとんの帰宅を待った。
by iwabass | 2005-06-02 21:25 | 家族